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なんでもあり★(色々思うこと、音楽、映画、スピリチュアル、韓国語、英語etc...)

エネルギーが余っています。やりたいことがたくさんあります。

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プロフィール

ayanochiyu

Author:ayanochiyu
エネルギーをもてあましています。
子育てが終わり、好きなことが多くて毎日大忙し。
人生1回、いつ死ぬか分からないので、楽しく生きましょう!

好きなもの
映画、音楽、美術、語学、歴史、スピリチュアル、食べ物 etc.,

・ECC、ジオスで韓国語講師経験あり。お笑い芸人さんへの授業などなど。)
・韓国政府機関勤務、外資系・韓国企業などなど渡り歩く。

◆エッセイ、書評など入賞、体験談掲載
(毎日新聞、鶴書院、スローライフジャパン、中央公論社、TOEICメールマガジンetc...)

21年目の回想-最終回- 

私は、自分がもつ様々な種類の感情、怒り、憎しみ、恨み、そして愛情や喜びといったものを、自分でしっかりと意識するように常に心がけている。
何故なら自分に嘘をついたり、自分自身を騙したくないからだ。
自分の感情そのものを、感情の移り変わりを意識できないと、人生のどこかで歪みや軋みが生じるようになると思う。
自分自身に素直に、自分自身の心の声に耳を傾け、それを素直に認めることから、新しい何かが始まるのだと思う。
そうしてこそ自分が後悔しないように、自分が思ったとおりに、自由に生きることができるようになるのだ。
しかし、いくら自由に、と言っても子供二人を育てている以上、子供たちを傷つけたり振り回したりするような自分勝手なことはしたくはない。
そのような理性も、もちろん持ち合わせている。だ
から、「私」である部分と、「母親」である部分をきっちり分けている。
「自由」をあくまでも追い続ける奔放な私と、必死に子供を育てているシングルマザーの私が共存している。
両方の私が好きだ。
だから、それでいいと思っている。

今年で41歳になった。
離婚して出戻って来てから8年が過ぎた。
あっという間だった。
あのミレニアムから8年が過ぎたのだ。
当初は3年位で自立できると思っていたのに、全然予想通りにはいかず、結局実家を出て自分で生活できるようになるまで倍の6年かかってしまった。
それは私が仕事を割り切ってできるようになるまで、それだけ時間がかかったということだ。
単にお金のためとだけ思えれば何でもできたはずだし、やりがいとか人間関係とかそういうものなんて求める必要がなかったはずだし、何一つこだわることなどなく何でもやっていたはずだ。
でも、そうもいかないところが厄介で、生活していかなくてはならないという現実が目の前にあっても、実際に職場でいじめに合ったり、理不尽な目に合ったりすると、これでいいのかと悶々と考えてしまう。
精神世界というものが人間にはあるために、人生はややこしく、厄介なものになっていってしまう。
でもだからといって精神活動を止めるわけにもいかないわけで、つまるところ、生きるということはグルグルとジレンマの中を泳ぎ続けるということになるわけなのだ。

6年もかかったけれど、やっとマンションを借りることができた。
あの時。39歳だった。
その前年の2005年後半位から、つまり38歳になってから、何かが動き始めた。
はっきりと感じることができた。
勢いに乗ってきたというか、何かいい方向に回り始めたような手ごたえを感じていた。

やりたいことにまっしぐらに向っていったら、何かが拓けていくような気がした。
自分の精神状態が全く違っていることに気がついた。

人間はやはり好きなことをしていた方がいいに決まっているのだ。
一旦やりたいことに向っていったら、勇気や希望、そして元気が満ち溢れてきて活力がみなぎってくるのがよく分かった。
そうなると毎日が楽しく、将来に希望ももてるようになり、「どうにかなるよ」という素晴らしいポジティブ・シンキングになっていった。
そんな風になると、様々なことが回転し始めた。
語学学校の講師採用試験は二箇所とも採用になり授業を掛け持ち、私個人の生徒も増え、近くの地区センターの会議室を借りて授業をすることになり毎日とても楽しくなっていった。
昼間に授業がない時間がもったいないな、と家の近くでデスクワークもすることにした。
昼間はデスクワーク、夜は語学講師、そして育児と三足のわらじを履くことになったが、とても充実していた。
「あぁ、私は生きている」
そんな風に実感できた。

売れっ子アイドル並の忙しい毎日になったけれど、収入もぐっと増え、まさしく38歳を過ぎてから人生がうまく回転し始めた。
確信した私はこの勢いに乗るしかない、今だ、と思った。
そして勢いに乗ったまま家探しを初め、39歳の10月に3DKのマンションの賃貸契約を結ぶに至ったというわけである。

マンションの契約に至るまでは、週末も休み無しの数ヶ月だった。
契約をした後も荷物を少しずつ週末ごとに運び、買い揃えるものもたくさんあった。
毎週土日は買い物と運搬、そして語学講師の授業と、休みは一日もない数ヶ月だった。
なんとか引越しが終わった時は、体中が痛くなり、風邪を引いたりとか色々あった。
でも夢のようだった。
夢が現実になったのだ。
あの地獄のような実家から自立し、自分の収入だけで暮らせるようになったのだ。

仕事が終わって、川沿いの道を自転車を飛ばして、3人で住むマンションのオートロックのカギを開けるたびに、
「あぁ、シアワセ…」
ココロの底からそう思える。

7年も経てば、子供たちも大きくなり、長男は14歳になり部活に習い事に大忙しで、次男はそろそろ11歳になり、季節ごとにキャンプや農村留学に行き、漫画を描くことに夢中で、平和で穏やかな生活ってこういうものなんだなぁ、と毎日実感している七年目の夏を今年迎えた。

思えば7年の間毎日を分刻みで生きていたような気がする。
2人の子供たちに寂しい思いをさせまいと、週末には必ずどこかへ連れて歩いていた。
平日は仕事で一緒にいられる時間が少ない分を週末で挽回しなくちゃと、自分が休む時間のことなんて考えたこともなかった。
レジャーや遠出をしなくても、近くの公園で自転車を一緒に乗って思い切り遊んだり、お弁当を作って川沿いにサイクリングに行ったり、少し離れたところにある公園の池にジャブジャブ入ってザリガニやおたまじゃくし、セミを捕まえたり、春には桜を見に行って桜の木の下でおにぎりを食べたり、そんな風に三人で過ごしていた。
出かける時は、いつも三人で話し合って計画を立てた。
週末家にいる時というのは、私が熱を出したとか、扁桃腺が腫れたとか、頭痛で動けないとか、そんな時だけだった。
今思うと、よくもまぁ、そんなに体がもったものだと自分のことながら7年目にして感心してしまう。
私は頑張った、つくづくそう思う。

そのおかげもあってか、私は友人知人にはとても恵まれている。
いつも励まされ、気にとめて心配してもらい、何かあると助けてくれる人が必ず現れる。
そしてその人たちに何かあれば、私も精一杯のことをする。
信頼し、信頼され、それ程シアワセなことはない。
実家の家族に罵詈雑言を浴びながら暮らしていただけに、他人の優しさが身にしみるのだった。
実家とは音信不通にしているけれど、それでいいと思っている。
血のつながりと信頼関係は比例しないのだ。
今にして思えば、実家での修行に耐え切ったからこそ獲得できたご褒美なのかもしれない。
 熊川哲也がケガから復帰した時に言っていた。
世の中タダはない、ということだ。

今でも平日はお勤め、しかもかなり忙しくて休みも取りづらく、土曜日は副業の語学講師、日曜日にはたまった洗濯や掃除に追われ、まともに休みもせずに暮らしている。
が、実家で暮らしていた時のことを思えば、全く苦にならない。
今のこの平和な生活を維持していくためには、喜んでフル回転したいと心底思う41歳のシングルマザーの私なのだった。

<エピローグ>
結婚、離婚、恋愛、自立、などなど色々盛りだくさんで楽しい人生だな、と自分で思える。
常に生きているということを実感できるのは、素晴らしく幸福なのだと思う。
綱渡りの人生だね、と友人に言われたけれど、そんなに危険な人生をおくっているという自覚はほとんどなく生きている。
実家を出て平和な暮らしをしている2年目の今となっては、すごい体験をしたなぁとひとごとのように思う。

まだまだこれから何が起きるか分からない。
占い師のおじさんが言う通り、38歳以降は落ち着いて暮らしているけれど、何がどうなるのか分からないのが人生だ。
これから残された自分の人生にどんなことが起きるのか楽しみだ。
何一つ根拠はないけれど、とても素敵なことが起きそうな予感がしている。
占い師のおじさんは私の勘が当たると言っていたから、きっとこの勘は当たるに違いない、そう確信する41歳の私だった。

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21年目の回想 

彼は高校生の恋愛のように舞い上がっていた。
浮かれて舞い上がっている彼の様子を見ながら、とても不思議な感じがした。
この人は、本当にまともに恋愛もしたことがなかったのかもしれない、そう思った。

驚いたことに、彼はすぐに結婚をしようと言ってきた。
え?
ちょっと待ってよ、あなたは妻子持ちだということをお忘れですか?
私は面食らった。
それに私にはそんなつもりは毛頭なかった。
そう言いたかったが、彼があまりに舞い上がっているので言えなかった。
元々妻とは離婚の話をちょうど進めているところだから、それが少し速まるだけだ、
自分はこれで人生終わりたくない、
好きな女と一緒に暮らしたい、
君の子供たちとも早く会わなければね、
あ、君のお母さんにも挨拶に早く伺わないとね、
これからやっと僕の人生が開けていくような気がする、
などなど次から次に彼は話し続けた。
私の頭の周りには????の記号がたくさん飛び交っていた。
「この人は本当に40歳を超えているのだろうか?」
不思議だった。

その後、1年位付き合ったけれど、私は全く結婚など考えていなかった。
結婚を望む彼とは、そのことで何度も揉めた。
何故そんなに結婚をしたがるのかが理解できなかった。
おかしな話ではあるが、私の方がいつも彼に言っていた。
「奥さんとは離婚しないで、とりあえず一緒にそのまま暮らしてる方がいいんじゃない?」

しばらくして、彼が大阪に転勤することが決まった。
私はかなりあっさりと
「仕方ないね。じゃ、今度大阪に遊びに行くね」
そう言った。
結局、一度も大阪に行くことはなく、連絡もしなくなった。

彼のことは好きは好きだった。
けれど、結婚なんてもうたくさん、当時の私はそう思っていた。
それに、なんとなく、なぜだか、人生を共にする人ではないような感じがしたのだ。
はっきりとした理由は説明できないけれど、そんな感じがしたのだ。
それが占い師さんの言っていた「勘」なのかもしれない。

その後、彼は奥さんと別居したり、また一緒に暮らしたり、すったもんだを繰り返しながら離婚をしたと、数年後に会った時に聞いた。



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21年目の回想 

食事の誘いに突然OKすると、その人はものすごく驚いた顔をした。
少し間をおいて、じゃあ明日の夜に会おうと言った。
私はいいですよ、と言った。

次の日、帰り際に今日は会食が入ってしまったけれど8時頃には抜け出すから、その時電話をするよ、と彼は言った。
携帯電話の番号を書いたメモを書類の間に挟んで渡してくれた。
結局、その日の夜はなかなか抜け出すことができず、電話が何度もあった。

「まだ出られそうにないんだよ」
「じゃあ、今日は無理ですね。また今度にしましょう。もう遅いし」
「え?でもせっかくだし、なんとか早く切り上げるからもう少し待っててくれる?」
「でももう9時ですよ」
「家にいるんだからいいじゃないか。ゆっくり待っててくれよ」
結局、会ったのは夜の12時近くになってしまった。

みなとみらいの運河パークで落ち合った。
落ち合ったものの時間も時間だったので、ただベンチに座ってペットボトルのお茶を飲みながら色々話をした。
彼は私より7歳年上で子供も1人いた。

お決まりの話題だけれど、何故離婚したのかと聞いてきた。
きっかけは元夫のギャンブルだけれど、そもそも私の方がもう愛情も冷めていたし、多分あれは愛情とかじゃなくて、何かを勘違いしてしまったから、あの結婚は初めから間違っていたこと、一緒に暮らしていくうちに私の人生にこの人は必要ないと確信したことなどを話した。
「そうだよ。人生一回しかないからな。後悔しないように生きないと」
「そうなんです」
「自分に正直に生きてるんだなぁ。なかなかできることじゃないよ」
「そうですか?」
「そうだよ。羨ましいな。きっと愛情たっぷりに育ったんだね」
「そうかな。特に複雑な家庭だったわけじゃないし、両親には感謝してるし、恨んだりとかそんな感情はないですよ」
「羨ましいね。真っ直ぐでさ」

彼は母親が父親に殴られ蹴られるのを見て育った。
今、母親は認知症で入院しているという。
60代では早すぎた。

結婚というものに不信感を持ち、父親には憎しみを持ち、小さい頃から勉強ばかりしていた彼は、欠陥人間だった。
常に何かを恨んでいた。
常に自分が不幸だと思っていた。
暗い目をした人だった。

恋愛の一つもせずに、ただ結婚し、子供もほしくなかったけれど奥さんが1人だけでもというので仕方なく子供を持った。
そんな風に生きていた彼は、幸か不幸か私には分からないけれど、40代になってから何かに気が付いてしまったのだ。
人生1回しかない、自分はこれでいいのか…
そう思ってしまったらしい。
気が付くと妻と子供がそばにいた。
でも自分はまともに人を好きになったこともない、これでいいのか?
これでこのまま死んでしまうのか?
そんな余計なことを考え始めてしまったらしい。
そんな折に、タイミングがいいのか悪いのか、私と出会ってしまったというわけである。

人は何故出会ってしまうのだろう。




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21年目の回想 

やっと定職につけて半年が過ぎ、仕事にも大分慣れてきた頃、魔が差した。
職場の上司と不倫をしてしまったのである。
要するに付き合ってしまったのであるが、そもそも私は不倫が悪いなんてちっても思っていない。
結婚を迫っているわけでもないし、相手の家庭を乱す気なんて全くないのだったら、別にいいじゃないか、
そう思っている。

そもそも結婚というものは制度であって、人の気持ちまで縛れるものではないのだ。
人のココロは常に自由で、変幻自在で、形のないものなのだから、結婚しても誰かに心惹かれてしまうのは仕方のないことだ

ただ、既にある家庭を乱してはいけないとは思う。
人を傷つけるのはよくない。
だから、徹底的に秘密裏に行い、大人の付き合いをすればいいんじゃないかな、
と昔から思っている。

そんなわけでその人と付き合い始めたのだった。

初めは変な人だな、と思ったけれど、全くもって魔が差したのである。
食事に行こうと誘われた時に、はっきりと断った。
あぁ、気持ち悪い、男ってすぐこうだからいやね、
なんて思いながら私はトイレで用を足し、手を洗いながら鏡に映った自分を見た。
びっくりした。
な、な、なんと、よぉく見ると、左の下の方に白髪があった。

嘘でしょ…

心底驚いた。
そうか、こうやって人は老いていくのだ。
職場のトイレの鏡の前で愕然としていた。
それが現実だった。
老いていくということは、命あるものにとって宿命である。
それが私にも如実に表れてきたのだ。
どんどん歳月が過ぎてゆき、私は老いていくのだ。
今のこの瞬間は戻ることはない。
瞬間瞬間を思い切り生きなければ、きっと死ぬ時後悔してしまう。
やりたいことはなんでもやらなくちゃ、人生は1回しかないのだ。
鏡の前で1人で私は、いきり立ちだした。

その日の午後にまたその人が食事に行こうと誘ってきた。
OKした。


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21年目の回想

実家という戦場でも戦いを繰り広げながら、タフな私はやっと、なんとか定職につくことができた。
出戻ってきてちょうど一年が経っていた。
その1年の間に色々なことがあった。
母が足をケガし、毎日の病院の送り迎え、家事全部を私が引き受けることになり、
「あれ?仕事を探さなくちゃいけないのに、これじゃあ何にもできない…。どうしよう…」
そんな風に焦るばかりの毎日だった。
少し母の足がよくなった頃にあちこちの職安に通いつめたり、派遣登録に行ってみたり、パソコンの講習会に出てみたりの毎日になり、忙しくなった。

職安であれこれ求人を選んでみた。
まずはお金も大切だけれど、経験を積み重ねることも大切だと思い、パートでもなんでも時給よりも長い目で見て、内容で選んでいこうと決めた。
横浜関内近辺の弁護士事務所などで、簡単な事務仕事やお茶くみなどから始めようと思い片っぱしから面接に行った。
結果はゼロ。
前戦全敗だった。
離婚をする時に、数人の弁護士と会い、話しをしている時に、知識に勝るものはない、とつくづく実感した。
仕事をしながら役に立つ知識を学ぶことができるなんて、そんないいことはない、という気持ちで弁護士事務所をあたってみたのだが、甘かったのだろうか・・・。

面接では色々なことを色々な人に聞かれた。
ある事務所では女性の弁護士が、ものすごい怖い目つきでジロジロ見ながら
「失礼ですけどご家族は?」と聞いてきた。
子供が二人で実家の母と暮らしていますと答えると
「ご主人は?」
と聞いてきた。
「離婚をしました」
そうと答えると
「うちはご覧のとおりの時給なんですが(800円)、それで生活の方は大丈夫なんですか?」
なんて余計な御世話だろう。
「母は母できちんと収入がありますから、私が母を養うということはありませんので、全く問題ありませんが」
そう答えた。

あるところでは、家族関係について根ほり葉ほり聞かれ、離婚した理由とか慰謝料はもらったのか、とかそんなことまで聞いてきた。   

世の中は不思議である。

いよいよ本格的に私は世の中に出て、世間というものを知っていくのだ。
そこで揉まれて、経験して、己を知り、現実を知っていくのだ。
それが生きるということだ。

職探しを始めて半年経っても一向に決まらなかった。
現実に叩きのめされ、打ちひしがれた。
でもぐずぐずしてはいられない。
とにかく前に進まなければならない。
生きていかなくてならないのだから。
仕事がなかなか決まらないけれど、時間があることをうまく利用して、登録した派遣会社のパソコンの講習会などに参加したりしていた。
なにせパソコンができなくては話にならない時代なのだから。
迷ったり、とまどったりしている暇はなかった。
前進あるのみだ。

そうこうしているうちに、なんとか仕事が決まった。
実家に戻ってちょうど1年が経っていた。
嬉しくてすぐに友達に電話をした。

そこでは語学を活かせたけれど、出る杭は打たれるのが常だった。
いじめが横行していたのだった。

もちろん私は新人としてターゲットにされた。
20数年勤めているお局さまはどこの職場にもいるもので、私を特別にターゲットにしているわけではなく、誰でもいじめ、しごく。
だから個人的で陰湿ないじめではなかったと、言えなくもない。
まぁ、いじめであることには変わりはないが。
いびりと言った方が正確かもいしれない。

「ちょっと、これ間違えてるわよ」
「ちょっと、これ日付が違うんじゃない?」
「ちょっと、席外す時はちゃんと声かけて行ってよ」
「ちょっと、これ誰にもらったの?あなただけもらうなんていいわねぇ」
「ちょっと、印紙持って来て!」
「ちょっと!」
「ちょっと!」
といった具合に、日に何度呼ばれるか分からなかった。
やれやれだった。

その女性は私と同じようにバツイチで、ずっと1人で子育てをしてきた人だった。
私は先輩シングルママとして仲良くなれたらいいな、と単純に考えていたのだが、日々のいびりにうんざりし、近寄らないようにしていた。

寂しい話だ。

同じような境遇なのだから、お互い分かち合えた方がいいと思うのだけれど、その人にはそういう考えはないようだった。
寂しい人なんだな…
毎日いびられながらもそう思っていた。

人は寂しさが慢性化すると、自分の寂しい気持ちに全く気がつかなくなってしまうのかもしれない。




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